ポルトガル史上最高の詩人の一人、
ルイス・デ・カモンイスが、
ヴァスコ・ダ・ガマによるインド航路開拓と
大航海時代でのポルトガル黄金期を賞賛した詩です。
ヨーロッパ最西端、ポルトガルのロカ岬に建つ石碑に刻まれています。
ヨーロッパの他国より一歩先に
インドへの航路開拓に乗り出したポルトガルは
1488年ディアスが喜望峰を発見しました。
東回り航路開拓に遅れたスペインは、
コロンブスによる西回り航路の開拓を余儀なくされます。
そして1492年にアメリカ大陸を発見。
続いてポルトガルも1498年にはヴァスコ・ダ・ガマが
インドに到達しました。
世にいう「大航海時代」の幕開けです。
一口に大航海時代といっても、
航海技術も今のように発達していなく、
ともすれば地球球体説すら完全には信じられていなかった時代
ですから、その海に出る恐怖心たるや想像を絶すると思います。
実際の数字を見ると、正に命がけ。
遭難、難破、疫病感染、敵による襲撃などで
初期の頃の航海の生存率は20%以下だったそうです。
世界初の世界一周をはたし、地球球体説を証明したマゼランは
1519年に出航した当時は265名いた船員も
1522年の帰港時には18名になっていたそうです。
マゼラン本人も亡くなっていたというから驚きです。
しかし、屈強な体と不屈の精神力。
それに知恵と運にさえ恵まれれば、
貧富の差なく富と名声が転がり込むかもしれない。
しかも早い者勝ちで。
現代よりもはるかに階級制度や貧富の差が激しかった当時、
この「貧富の差なく」というのは、
とてつもない魅力を持っていたことでしょう。
そして、そのチャンスを掴もうと、
文字通り命を懸けて未知なる海に出航していきました。
動機が富と名声であれ、
現代に生きる私たちから見ると
その「命がけ」ということ自体、
夢とロマンと大冒険に思えるのでしょうね。
各国のやり取りが本格化するのは16世紀に入ってから。
その頃になると出遅れていたイギリスやフランスも
挽回を図るように海へ出て行きます。
北航路への挑戦や、私掠船を使っての海賊行為。
西航路を支配していたスペインへ対抗していきます。
この海賊についてはまた別の機会に詳しく
書きたいと思います。
もちろん、各国ともに利権をなど、自国の富のために
カリブ海を目指したのでしょうが、
「利益云々は別にして、あの美しい島々を見たら自分のものにしたくなる。」
と吉祥寺のとあるラムバーのオーナーが呟いたように、
美しいものを手に入れたい!!
そんな思いもあったんでしょうか?
夢や希望のイメージが強い大航海時代ですが、
アメリカ大陸の先住民にとっては侵攻と略奪の歴史。
アステカ文明、インカ帝国、マヤ文明などが次々に
スペインによって滅ぼされ、支配されていき、
現在のカリブ海諸国、中南米諸国の複雑な歴史は
この「大航海時代」から始まりました。
先住民が滅ぶと、ヨーロッパ各国は
アフリカで奴隷を手に入れ、カリブに送るという
悪名高き「三角貿易」を開始します。
この詳しいお話もそのうちしたいと思うので
気長にお待ちください。
アフリカより奴隷船で移送され、きつい労働を強いられ、
伝統的な信仰や言葉、文化を捨てさせられた
黒人奴隷たちを慰めてくれていたのがラムでした。
ラムに陽気なイメージがあるのも、
このお酒が日々の過酷な労働を忘れさせてくれて、
楽しく騒ぐための唯一の方法だったことが
原因なのかもしれませんね。
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