なんだかラム関連の話ばかり続いていて
恐縮ですが、今回も続けてしまいます。
別に商品のバックストーリーを
調べるのに時間がかかっている。
なんてことはない事にしておいてください。
ということで、少々強引に
今回は悪名高き「三角貿易」について少々。
大航海時代を経て、砂糖はカリブ海諸国で
大量に生産されるようになりました。
その後、時は17世紀頃のヨーロッパ。
喫茶の風習が広まり、砂糖の需要が急激に増加します。
それにともない、砂糖の経済比重は高くなり、
サトウキビの生産地であったカリブ海諸国に、
より多くの労働力が必要になりました。
そこで目をつけたのはアフリカ大陸です。
アフリカ大陸にはさまざまな部族がいました。
その部族にヨーロッパから武器を渡し
別の部族を支配させて、船は黒人奴隷を得て
カリブ海に労働力として強制的に連行しました。
要するに、
カリブからは砂糖、タバコ、香辛料、
そしてラムなどをヨーロッパへ運び、
武器や繊維製品を西アフリカへ。
西アフリカからは黒人奴隷をカリブ海へ。
この一連の流れが悪名高い「三角貿易」でした。
この三角貿易のもっとも悪名を上げた理由は、
もちろんその奴隷制度によるものでしょう。
当時の船での輸送は悲惨としか言いようのない
状態だったようです。
小さな船室に足かせをつけられたまますし詰めにされ、
ひたすら櫂を漕がさせられたため、
栄養失調や、脚気、ノイローゼなどで
多くの黒人が死に、海へ投げ捨てられたそうです。
生き延びて新大陸にたどり着いても、
首に鉄の輪などをつけられた状態で
競りにかけられました。
そうして白人のサトウキビ農園主に売られていき、
強制的に過酷な労働をさせられました。
17世紀半ばに奴隷売買が合法化されると
その後300年にわたって何千万人もの黒人たちが、
新大陸に連れて行かれました。
砂糖あるところに奴隷あり。
という言葉を残したのはトリニダード・トバゴの
初代首相のエリック・ウィリアムズでした。
その言葉に続いて
奴隷のあるところにラムあり。
という言葉ができたように、
三角貿易の商品となっていたラムですが、
カリブで過酷な労働を強いられる黒人たちの
癒しにもなっていました。
その後、ヨーロッパにおいて
蒸留技術の発達や熟成という製法が生まれることにより
ラムの価値が見直されると、
今度は本国での消費が増えていったというから
やはり歴史というのは妙なものです。
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