銀幕の雫: 1月 2009
ラムを実際に楽しく飲める場所紹介。
第二回目は銀座です!!
銀座 「Bar Lamp」

銀座という日本一の酒飲みの聖地において
ラムバーとはこうあるべきなのでしょう。
エレベーターで4階まで上がると、
証明を落とした店内に直接つながります。
長いカウンターにはラムやシガーに関する
本やポスター、サインが置かれ、
バックバーには200種類のラムがズラリ。
有名銘柄から、日本未入荷のものまで
幅広く置いてあります。
常に物腰の柔らかいイケメンオーナー中山氏に
例によってオススメを聞いてみました。
さまざまな種類のラムはもちろんのこと、
まずはカクテルでした。
最近非常に人気が出てきたモヒートや
ラムと季節のフレッシュフルーツを使った
カクテルはオリジナルにこだわっているそう。
そして、さらに自信を持ってのオススメは葉巻でした。
日本に輸入される葉巻は一般的に香港経由で来る
アジア向けのものですが、ランプの葉巻は
ヨーロッパルートで入ってきます。
なので、葉巻の熟成などが同じ銘柄においても一味違います!
だけど、もちろん値段は同じ!
葉巻とラム。
切っても切れないこの二つの関係をご堪能下さい!!
また、2フロアからなるこのお店は
下はカウンターのみ。上はソファラウンジ。
カウンター席ありソファ席あり。
こだわりのラムやウイスキーあり。
フレッシュフルーツを使ったカクテルあり。
一人で葉巻を燻らしながらしみじみ飲むもよし、
二人でしっぽりした時間をすごすも良し。
この銀座にある大人のラムバーで、
きっとラムへのイメージも変わるはずです。
★店舗情報★
Bar Lamp
住所:東京都中央区銀座4-3-7銀座猿谷ビル4F
TEL:03-3561-2666
営業時間:18:00~翌4:00
休業日:日曜日/祝日
URL:http://www.bar-lamp.com/index.html
以前「文字通り手作り!!」で少々触れた
マリーガラント島。
その島には現在3つの蒸留所があります。
ひとつは前回ご紹介した
ペールラバを作るポワゾン蒸留所。
と、その従兄弟がラムを作るビエール蒸留所。
そして最後のひとつが本日ご紹介しようと
思っている、ドメーヌ・ド・ベルヴュ。
1769年創業に創業したこの蒸留所、
当初は製糖工場と糖蜜のラムを生産していました。
2002年に蒸留所の敷地を著ぷ近代的に建て直し。
2004年以降マルティニーク、グアドループを含めて
三番目に大きいかつ、効率の良い生産をする蒸留所となったそうです。
グアドループ島のダモワゾー蒸留所の
従兄弟がマネージャーを務めているといいます。
この蒸留所のラムのラインナップは
ブラン、6年、9年とあるのですが、
今回はこのブランをご紹介します。
1日辺り約50トンのサトウキビが運ばれ
3回繰り返し蒸留します。
出来上がったラムはグアドループに運び
成分検査を受けます。
ステンレスタンクの中で2~3ヶ月攪拌し、
不要な成分を飛ばしてから加水調整後、瓶詰めをします。
このブランにも実は59度、50度、40度と3種類あるらしく、
それぞれマリーガラント島内用、
グアドループ島用、カリフォルニア向け。
と分かれているそうです。
今回の入荷分は50度のブランでした。
ぜひお試しください!!
なんだかラム関連の話ばかり続いていて
恐縮ですが、今回も続けてしまいます。
別に商品のバックストーリーを
調べるのに時間がかかっている。
なんてことはない事にしておいてください。
ということで、少々強引に
今回は悪名高き「三角貿易」について少々。
大航海時代を経て、砂糖はカリブ海諸国で
大量に生産されるようになりました。
その後、時は17世紀頃のヨーロッパ。
喫茶の風習が広まり、砂糖の需要が急激に増加します。
それにともない、砂糖の経済比重は高くなり、
サトウキビの生産地であったカリブ海諸国に、
より多くの労働力が必要になりました。
そこで目をつけたのはアフリカ大陸です。
アフリカ大陸にはさまざまな部族がいました。
その部族にヨーロッパから武器を渡し
別の部族を支配させて、船は黒人奴隷を得て
カリブ海に労働力として強制的に連行しました。
要するに、
カリブからは砂糖、タバコ、香辛料、
そしてラムなどをヨーロッパへ運び、
武器や繊維製品を西アフリカへ。
西アフリカからは黒人奴隷をカリブ海へ。
この一連の流れが悪名高い「三角貿易」でした。
この三角貿易のもっとも悪名を上げた理由は、
もちろんその奴隷制度によるものでしょう。
当時の船での輸送は悲惨としか言いようのない
状態だったようです。
小さな船室に足かせをつけられたまますし詰めにされ、
ひたすら櫂を漕がさせられたため、
栄養失調や、脚気、ノイローゼなどで
多くの黒人が死に、海へ投げ捨てられたそうです。
生き延びて新大陸にたどり着いても、
首に鉄の輪などをつけられた状態で
競りにかけられました。
そうして白人のサトウキビ農園主に売られていき、
強制的に過酷な労働をさせられました。
17世紀半ばに奴隷売買が合法化されると
その後300年にわたって何千万人もの黒人たちが、
新大陸に連れて行かれました。
砂糖あるところに奴隷あり。
という言葉を残したのはトリニダード・トバゴの
初代首相のエリック・ウィリアムズでした。
その言葉に続いて
奴隷のあるところにラムあり。
という言葉ができたように、
三角貿易の商品となっていたラムですが、
カリブで過酷な労働を強いられる黒人たちの
癒しにもなっていました。
その後、ヨーロッパにおいて
蒸留技術の発達や熟成という製法が生まれることにより
ラムの価値が見直されると、
今度は本国での消費が増えていったというから
やはり歴史というのは妙なものです。
前回の「海賊シリーズ1」でふと疑問に思った
17世紀頃に安いラム、粗悪なラムは存在したか?
今回はこのテーマに沿ってちょっと考察したいと思います。
そもそもラムができたのは1500年代から1600年初頭と
いわれています。
諸説ありますが、プエルトリコに渡ったスペイン人探検隊
に蒸留技術を持つ隊員がいたというものと、
バルバドスに渡ったイギリス人が最初という二つが主です。
どちらにしても17世紀前半にラムは生まれました。
この頃はすでに大航海時代で、ヨーロッパでは
エリザベス1世が率いるイングランドが
スペインに変わり大英帝国を築いていました。
ということは、海賊も続々と生まれている時代です。
生産され始めたばかりのラムは砂糖生産業の副産物として生まれ、
労働者の日々の疲れを癒すためだったり、
三角貿易の商品として活躍?していた時期でしょう。
そもそも「高級品」というカテゴリー自体
なかったのではないでしょうか。
もう1つ、別の視点から。
では、当時ウイスキーはどうなっていたのかというと、
少し前に書いた「簡易アルコール史」を見ていただくと
分かると思うのですが、
1644年になってやっとスコットランドで密造酒時代に突入した
ばかり。当然それまでは穀物を蒸留しっぱなしの
ホワイトリカーを飲んでいたものと思われます。
このことから、17世紀当時「高級な蒸留酒」というのは
唯一ヨーロッパで飲まれるようになっていた
ブランデー(果実原料の蒸留酒)くらいしかなかったのでは
ないでしょうか。
では、貴族と呼ばれる人たちは何を飲んでいたのか。
日本ソムリエ教会の教本によると、
16~18世紀はヨーロッパの宮廷文化が最も花開いた時代であり、
宮廷の食事には、豪華な料理に合う質の高いワインが求められる
用になった。ブドウ畑を所有する王侯、貴族や僧院では、
ワイン造りに対する投資にますます拍車がかかり、
醸造技術にも格段の進歩が見られた。
17世紀末から18世紀にかけて、現在のようにワインを
瓶に詰め、コルクで栓をするというスタイルが考えられるようになり、
このことが、ワインの瓶内熟成による品質の向上、
美味しさの工場、保存、運搬、普及などに計り知れない
大きな影響を与えていった。
とあることから、やはり「高級酒」というのは
ワインとブランデーだったのでしょう。
以上のことから、ウイスキーなども当時は非常に
安価なお酒であったと思うのですが、
海賊にとってはいつでも飲める安いお酒は
ラムだけだったのでしょう。
ラムに荒っぽいイメージや海賊的な粗悪なお酒の
イメージはこういうところから派生して付いたものと考えます。
まぁでも、そのおかげで「海の似合う酒」にも
なったことを考えると、歴史って本当に面白いですね。
一応ラムが専門分野ということで
さすがに見逃せない映画を見てきました。
「チェ・28歳の革命」
ご存知の通り、キューバ革命を
カリスマ、チェ・ゲバラに焦点を当てての映画です。
あんまりキューバ革命のことを書きすぎると
お酒の話に結びつけるのは難しくなってしまう
気もしますが、中南米の複雑な歴史を知る上では
象徴的な出来事のひとつでしょうから、
さわりだけは少し。
キューバはスペインの支配から
アメリカの手助けもあり独立を果たしたものの、
今度はアメリカによって実質的な
支配を受けるようになってしまいました。
キューバ人のキューバ人による国には
なれなかったんですね。
そのアメリカの言いなりになっていた
バティスタ政権を武力闘争で倒した革命です。
その後社会主義宣言をして
キューバは現在の社会主義体制になりました。
ところで、多少強引ですが、
当時のアルコールはやはりラムでした。
革命軍にももちろん必要なもので、
けが人の痛み止めや、処罰を受ける者の
恐怖をやわらげるためだったりと、
映画の中でも多々出てきました。
当時のラムはどんなものだったのでしょうね。
1953年頃の話なのでそんなに昔ではありません。
キューバの主な産業はやはり砂糖工業。
その残った糖蜜でのラム製造。
バカルディはすでに100年近く前に誕生しています。
しかし、社会主義宣言が行われると
バカルディはライセンスごと活動の拠点を
プエルトリコに移動。
現在そのバカルディを生産していた蒸留所では
サンチャゴ・デ・クーバを生産しています。
もちろんレシピはオリジナルになっているので
別のものですが、今度は映画館ではなく
このラムを飲みながらと葉巻をくわえて
もう一度「28歳の革命」を見たいと思います。
昨年、非常に力を入れていたラム。
今年の夏はラム・ブーム??
と楽しみにしながら、
このブログで個々のボトルをご紹介して来ましたが、
せっかくなので実際に飲める場所も
ご紹介していこうと思い立ちました。
そんなわけで突然ですが、
ラムを楽しく飲ませてくれる個性豊かなバーを
少しずつご紹介していこうと思います。
第一回目は
吉祥寺 「スクリュー・ドライバー」

吉祥寺のヨドバシカメラ横にあるビルの4階にある
ラム好きの間では比較的よく知られているお店です。
ラムのアイテム数は都内でも有数の400種類を誇ります。
話に聞いただけでは、
その立地や、都内有数のラムのお店ということで、
マニアックなイメージと知識がないと入りづらい印象を受けます。
しかし、そこは陽気なラムのなせる技なのか、
はたまたオーナー海老沢氏の性格からなのか。
来店されるお客様は老若男女問わず、
それこそ専門的知識豊富なハードリカー好きの方から、
バーに初めて一人で来たという若い方まで。と、
客層は非常に幅広いです。
メインバーテンダーで店長の土屋氏に
オススメのお酒をを聞いてみたところ、
去年の人気NO1に輝いたという
ミロナリオ ソレラ 15年 
ほぼ週代わりで作られる季節の果物を漬け込んだ
オリジナル ラム パンチ
様々なラムを楽しんでもろうという趣旨の
飲み比べセット
etc.
と、やはり間口の広さを思わせるラインナップでした。
ついついその豊富なアイテム数に目がいきがちですが、
このお店の最大の魅力はなんといっても、
その人柄、入りやすさ、間口の広さでしょう。
南国的気楽さで飲んだ後は、
エレベーターのない4階のお店なので
帰りの階段には十分お気をつけてください。
★店舗情報★
SCREW DRIVER
住所 東京都武蔵野市吉祥寺本町1-20-15 東永ビル4F
TEL:0422-20-5112
URL:http://www.screw-driver.com/
オリジナル・ブッカーズがやっと入荷しました!

当初の予定より2ヶ月遅れ。
本当は年末に勢いで売りたかったですが、
ここはじっくりと。。。
すでにご注文を頂いていたお客様には、
昨日出荷しましたので、
そろそろ手にされておられる方もいらっしゃるかと思います。
肩ラベルにはシリアルナンバー入りで、
1000本の限定。
赤いリボンが締まってなかなか良い感じです。
自画自賛でスンマセン
丸い木箱もしっかりと出来ていて、
良い仕事できてます。
WEB限定でプレゼント企画もやってますので、
ぜひっ!
成城石井の店頭には、
来週水曜日頃から並びますので、
お楽しみに!
よくハードリカーやお酒の本を読んでいると
何年の文献にとか、何年の創業とか色々な年代が
出てくるのですが、各個バラバラに見ていても
なんだか分かりづらいかったので、
時系列で一つにまとめてみました。
正確なものかどうかの自信はあんまりないので、
間違い探しなどはやめてくださいね。
あくまで気楽に優しい目で見てやってください。
紀元前50世紀頃 イランの壷からワインの残留物?
シュメール人の板碑にビール醸造の様子が描かれる。
紀元前12世紀 中国の史書に蒸留酒についての記述
紀元前1100年頃 スペイン、アンダルシア・ヘレスに葡萄を持ち込む
200年頃 エジプトに大麦の蒸留酒があったと記録に
10~11世紀 蒸留技術が中国あるいはペルシャで起こり、錬金術の流行と共にヨーロッパへ
1096~1099年 第一回十字軍遠征。サトウキビや蒸留技術がヨーロッパへ?
1172年 イングランド王ヘンリー2世がアイルランドへの侵攻した際、農民たちが「ウスケボー」を
飲んでいたという記録
1411年 フランスのブランデーに関する最古の記録がある「オー・ド・ヴィ」。
8世紀頃からワインの蒸留酒はあった模様。
1479年 スペイン王国の成立。
1492年 コロンブスによりアメリカ大陸発見。
(*日本、戦国時代突入)
1493年 サトウキビがカリブ海へ
1494年 スコットランドにおいて蒸留技術があることの証拠である参考文献
スコットランド王室財務省の記録。
スコッチウイスキー強化における「ウイスキー誕生の日」
1400年代末 大航海時代突入
1500年代 プエルトリコに渡ったスペイン探検隊の中に蒸留技術を持つ隊員が?
1512年 アステカ王国滅亡(スペインにより)
1517年 (独)ルター宗教改革。ヨーロッパ各国へ。
1532年 インカ帝国滅亡(スペインにより)
1553年 (英)メアリー1世即位(ブラディ・メアリー)
最初のリンゴ原料のブランデー(カルバドス)に関する蒸留の記録
1558年 (英)エリザベス1世即位
1568年 (西)オランダ独立戦争開始・八十年戦争
1580年 (西)ポルトガル王も兼ねる
(1582年 本能寺の変にて織田信長死去)
1588年 アルマルダ海戦(イギリスVSスペイン)制海権がスペインからイギリスへ
1600年代初頭 バルバドスに蒸留技術を持つイギリス人が移住?
ブランデーの製造がコニャック地方で本格化。
1603年 (英)エリザベス1世死去。ジェームス1世(6世)へ。
(*日本、江戸幕府開府)
1600年代 ヨーロッパ、アフリカ、西インド諸島(カリブ)を結ぶ三角貿易が始まる。
1644年 スコットランド議会によって、初めて「ウイスキー税」が導入。
数ヶ月後より密造時代突入
1648年 八十年戦争終結。オランダ正式に独立(スペインより)
1660年 オランダ・ライデン大学医学部教授フランシスク・シルビウスがジンを開発
1689年 オランダのオレンジ公ウィリアムがイギリス王国に迎えられるとジンがロンドンで流行。
妻はメアリー2世
1707年 イングランドとスコットランド統合でウイスキー税が大幅に引き上げられる。
現在のウイスキー造りの原型?
密造酒による樽の使用がはじまる?
1700年代初頭 グレンモーレンジ農園で密造酒が作られる。
1732年 デメララ、ポートモラント蒸留所創業
1755年 サミュエル・ジョンソン博士が編纂した英語辞典に「ウイスキー」という言葉が記載。
1761年 ボンベイジンが誕生
1765年 セントジェームス誕生
ヘネシー誕生
1769年 ゴードンジン誕生
1776年 アメリカ独立宣言
1783年 ケンタッキー州ルイヴィルでエヴァン・ウィリアムが麦類にコーンを混ぜた蒸留酒を製造
1789年 (米)エライジャ・クレイグがコーンを使用して蒸留酒を造ったとされる。
(仏)フランス革命勃発
1802年 フランス革命終結
1808年 奴隷貿易廃止
1815年 スミノフ誕生
1820年 ビフィーター誕生
1822年 イギリス国王ジョージ4世が「ジョージ・スミス」を訪れる。
1823年 イギリス酒税法改正、税率が大幅に下げられる。密造酒時代の終焉。
1824年 スコットランド政府公認第1号蒸留所「グレンリベット」誕生
「マッカラン」が政府公認第2号蒸留所。
1830年 タンカレー誕生。
1831年 イオニアス・コフィというアイルランド人が、パテント・スチル(コフィ・スチル)
という連続式蒸留器を発明。
1834年 これまでにスコットランドにおける密造者(スマグラー)いなくなる。
1841年 カシス・リキュールをルジェ・ラグート社が初めて発売
1846年 イギリスにおいて穀物法が廃止となり、安価なとうもろこしが大量に輸入。
グレーンウイスキーの増産が始まる。
1853年 エジンバラのウイスキー商アンドリュー・アッシャーが最初のヴァテッド・モルトの製造
に成功。
(*日本に黒船来航)
1858年 フランスにおいてフィロキセラの大発生
ハイラム・ウォーカー(カナディアンクラブ)創業。
1860年代 アメリカで西部開拓時代開始 この頃密造酒としてバーボンが誕生?
1862年 バカルディがキューバ、サンチャゴデクーバにおいて誕生。
1863年 ジョージ・バランタインらの手によって最初のブレンデット・ウイスキーの誕生。
1865年 アメリカ南北戦争終結。
1866年 ジャックダニエルがテネシー州リンチバーグ村に建設。
(1867年 江戸時代終焉)
1870年 ヘネシーが世界で初めてX.Oの名前を与えられる。
1874年 アメリカで初めて瓶詰めされたバーボンが販売?
1877年 I.W.ハーパー誕生
1890年 フロンティアの消滅で西部開拓時代の終焉。
1905年 ウイスキー真贋裁判。ブレンデット派の勝利。
1907年 麒麟麦酒株式会社設立。
1914年 第一次世界大戦開戦
1915年 スコッチの樽貯蔵が法的に義務付け
戦時中の禁酒法案が反発。酒税を2倍に引き上げ案が出るが、蒸留業界が一定期間
ウイスキーを貯蔵するという代替案を提出し、承認される。2年熟成。
1916年 3年以上の樽熟成となる。戦争が長引き市場への流通量を減らすのが目的。
1918年 第一次世界大戦終結
1920年 アメリカ禁酒法施行
1922年 サントリーの前身株式会社寿屋設立。
1929年 ジャパニーズウイスキー第一号「サントリーウイスキー白札」発売
1933年 アメリカ禁酒法撤廃
1934年 ニッカの前身大日本果汁株式会社設立。
1937年 サントリー角瓶発売。
1939年 第二次世界大戦開戦
1945年 第二次世界大戦終結
1946年 トリス発売
1959年 キューバ革命
1964年 バーボン法確立
と、なんとなくボーっとこの表を見ていて思うのは、
お酒というものはやっぱり人が作ったものだけあって
そんなに大きな歴史の差はないんですね。
戦争があったり、増税されたりすると、新しい法律や
技術が開発され、技術が開発されると、それがいっせいに
世界に広がってまた新しいお酒が生まれる。
大体こんな歴史みたいですね。
また何か興味深いネタがありましたら
アップしたいと思います。
逆にこんなことを知りたい!!
というご要望があれば教えてみてください。
参考にしたいと思います。
あくまでも参考に。
スモールバッチがもてはやされた20年ほど前から、
西海岸を中心にマイクロブルワリーと呼ばれる、
スピリッツを蒸留する小さな蒸留所が、
いくつか産声を上げ、
この所人気を集めています。
バーボンやアメリカンウィスキーとは一味違う、
ちょっと高価なアメリカン・マイクロブルワリーのウィスキー。

クレア・クリーク蒸留所は、
オレゴン州のポートランドで、
1980年代の後半から地元で採れた果物を使って、
オードヴィーやリキュールを造っています。
この蒸留所のオーナー、
スティーブ・マッカーシーの本当に造りたかった、
まるでシングルモルトのような味わいの、
アメリカンウィスキーが1990年に誕生し、
彼の名前を酒名に付け、
「McCarthy's Oregon Single Malt Whiskey」が生まれました。

ピートを焚かれたスコットランド産の、
大麦で造られたウォッシュを原料に、
小さなホルスタイン・ポットスチルと呼ばれる蒸留機で蒸留し、
シェリー樽とオレゴンオーク樽で最低3年以上熟成され、
マリッジングされてボトリングされています。
しっかりとしたピートの香りがあり、
味わいも骨のある味わいがあります。
まさにアメリカ生まれのシングルモルト。
モルト通にちょっと変わったものをと思った時に、
こういうのはいかがでしょ?!
http://clearcreekdistillery.com/whiskey.html